死にたい気持ちとの向き合い方

投稿者: p | 2025-01-24 15:52:28

 死にたい人のコミュニティサイト シノサイドをご利用いただきありがとうございます、当サイトの運営者です。
 
 今回は「死にたい気持ちとの向き合い方」というテーマでお話しさせていただければと思います。

 この記事を読んでくださっている貴方や、私も含め多くの人が、日々のストレスや過去のトラウマ、将来への絶望感などといった様々な要因の蓄積の結果、「死にたい」という感情を抱えていると思います。

 このようないわゆる希死念慮は、過剰なストレスなどが脳に負荷をかけ続けた結果、前頭前野などの脳内の特定の部分や、神経系の機能などに異常が起きている人に発生する傾向があるものであり、そこに衝動性などが絡むことで所謂自殺が起きてしまう、というのが、現代社会における科学的な「死にたい気持ち」の捉え方です。

 そしてその希死念慮に対し、薬物治療やカウンセリング、その他様々な療法を用いて、精神科医の方を始め沢山の医療関係者の方が我々をサポートしてくれています。

 しかし、こういった体制が整ってきているにも関わらず、「死にたい」と思う人は以前多いままです。

 それは決して医療の問題ではなく、死にたい気持ちを抱える私たち個人個人が、そのような希死念慮や人生への絶望感、日々のストレスに対して、ただ耐えるだけになってしまっているからだと、私は勝手ながらに思っています。

 勿論、皆さんの抱えている問題の殆どは、革新的な方法で一発解決出来るようなものでないことは、重々承知しています。

 だからこそ、過剰な苦しみに対して、涙を流し歯を食いしばりながら我慢するのではなく、今いる苦しい環境から「全力で脱出する」と言うことが、死にたいという精神状態に変化をもたらす第一歩になる、ということが、今回の私の主張になります。

 前置きが長くなりましたが、その「苦しい環境からの脱出」について、お話しさせていただきます。

 先ほど希死念慮がストレスなどによって脳の前頭前野に〜といった事を申し上げましたが、この「ストレス」の内、多くは「人」に関わるものであると私は思っています。

 「人」のストレスとは、あなたから見たあなた自身への自己卑下や鬱憤、家族への複雑な怒りや
不満やトラウマ、友人と呼べるような人が少ない、若しくはいないこと、学校における、幼稚だからこその残酷さを持つ子の存在、仕事での周囲との比較やパワハラ上司の存在、または不特定多数の人間からのプレッシャー… などなど、挙げればキリがない程の「人」に問題が、私たちの大きなストレスになっていることは言うまでもないのです。

 そうした「人」によって構築されたのが、あなたの身の回りの「環境」であり、その「環境」にあなたは苦しんでいる訳です。

 ようやくここで今回のテーマと繋がるのですが、要するに「死にたい気持ちと向き合う」ことは「周囲の人と環境を見つめ直す」ことであり、
そこに悪戦苦闘している私たちが持つ効果的な選択の一つに「その環境を脱出する」ことが挙げられるのです。

 これ以上学校に通い続けるのが辛いなら、他校や通信への転向がやはり必要になってきます。労働環境が劣悪な場合は、勿論転職のタイミング等々の都合はあれど、あなた自身がその職場に留まっていては誰も問題を解決できません。家族に問題がある場合は中々今日を取る難易度も高いでしょうが、やはりこれも同様に、最終的な決断はあなた自身が行う必要があります。

 死にたいという感情を正面から受け止めるのは限度があります。ですが、その感情の裏には必ず原因があり、その原因は環境であることが多々あります。

 勿論、新たな学校や職場でも何かしらの問題やトラブルはあるでしょう。希死念慮がすぐに消えるわけでもありません。

 しかし、今のままではあなたの「死にたい気持ち」が拭える可能性は低い事も、お分かりいただけると思います。

 タイトル詐欺のような形になってしまいましたが、あなたの希死念慮に対し、面と面を向かい合わせて受容しようとするのは、何度も言いますが辛い事です。

 受け入れ難い他人や環境には固執せず、新たな居場所を探す… これを何度も重ねる事で、初めて私達は、表面的なストレスの奥にある、個々人の「死にたい気持ち」と向き合えるのだと、私は思うのです。
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